第二の介護生活

前とは違う方向へ。

 

 

実は1つ前の投稿、眠くて途中で書くのやめてしまったので、前には戻れない、のことが何も書かれていない。

 

母が亡くなって母の世話はなくなったが、高齢の父が残され、かつ、1人になってしまったので、本人はいつも「大丈夫大丈夫」というが、まぁ全く大丈夫ではないので、第二の介護生活が始まっている。

 

これは何年続くか分からない。

 

父自体から「ホントあと何年生きていられるやら」と言葉の出る90歳、特にやりたいこともなく、長生きしたい訳でもない。

 

やりたいことを新しくやる気力はないようなので、好きにさせている。

食べたいもの食べ、やりたいことは気ままに。

もうちょっとあれしてくれたら…などはあるが、本当に最低限のことしか言わないようにしてる。

 

元から色々と普通の人の生活レベル感を持ち合わせていなかったり、ちょっと感覚的におかしいことに加え(いわゆる変わった人)、もう90歳なのだ。本当にあと何年の命か分からない人に、あれしろこれしろは酷だと思ってる。

 

私はともかく、人様に迷惑にならない程度にしてさえくれればいい。

 

母が病気発覚し療養に入り、亡くなるまでの約8ヶ月、本当に最後のおつとめをしてくれたと思ってる。私も頑張ったとは自負するが、それは父の頑張りがあってこそ、だ。

 

最初に病気の診断をつけるまで、父はまだ車を運転していた。

90歳だが、自損事故などはここまで起こしたことなく(他の車にぶつけられたことはある)、かつては運ちゃんだったこともあり、車の運転好きだし、運転スキルは高かった。

 

その病気の診断のため、検査のためにあちこちの病院へ行くに当たり、私はまだ運転が久しぶり過ぎたのでほとんど父に運転してもらっていたが、結構な距離を運転してもらったし、車の中で待ってもらったりなどもした。

 

それを終えて、診断と方針が決まり、私が近くに引っ越して車を運転することにして、免許は失効させたのだった。(本人がもう運転しなくていい、と言ってくれたので)

 

その後は車がなくなったので、何とか行ける距離のコンビニへは自力で行っていたが、母を見るのにほとんど自宅に居てくれ、ご飯だの薬飲ませるだの、本当に色々と世話をしてくれた。

日中仕事で私はおらず、看護の人は来てくれるがずっとではないので、ずっと見てくれたのは父のおかげだ。

 

最後の最後は、ちょっとだけ本音として「やっぱり病院入れるべきだったかな…」と言っていたが(亡くなる三日前くらいの、夜中にも世話しないとならなくなった辺り)、それ以外は本当にやり尽くしたと言ってもいい。

 

そんな頑張った父なので、もう本当の意味での余生は、遊んで暮らしてくれていいとすら思ってる。

 

その父を最期まで見届けるのが、私の今のタスクである。

 

もう結婚しないな、と思った時期に、まぁ子供とかそういうの面倒みないから、父と母だけは最期まで面倒みようと決めていたので、それだけは私もやり切ろうと思っている。