緩和ケアも、終わるとあっけない

そんなものなのでしょうね。


正直言うと、母が生きていた頃は「これがいつまで続くのだろう」と「1日でも長く生きて欲しい」の気持ちが行ったり来たりして、本当にずっと微妙な気持ちだった。

これが緩和ケアではなく、ガンだったとしても例えば手術をしたり放射線治療をして、治るかもしれない(治らないかもしれないも含めて)とか言う段階だったら、こんな気持ちにはならなかっただろうけども、もういきなり「治らない」って言う事実を突きつけられてスタートすると、なかなか本人への向き合い方・接し方も難しかった。

父は無邪気に「治るかもしれない」的なことをたまに言ったりしたが、私は嘘は付きたくなかったからそれだけはしなかった。期待させたくなかったし。
母は最初余命を聞いたはずだが、途中から認知症が勝ったのか(?)「自分はどうしてこうなってしまったんだろう」という言葉を幾度となく繰り返していた。

治らない、もう終わりしかない、ということを言わない・言えない日々の中で、言われた通りに頑張ってうがいをしたり薬を頑張って飲む母の健気さに、自分の寝る部屋へ戻って泣くことはしょっちゅうあった。
治らないんだったらやらなくてもいいよね?あんなに頑張ってるのに…と悲しみしかなかった。

だから本当に気持ちの持っていき方は難しかった。
本人が最後に何かしたいなどを言わなかったこともあるし、最後だからと話をすることもなかったが、それはこちら側も「これであなたの人生はもうすぐ終わってしまうんですよ」という事を出さなかったのもあるから。
上手く隠して、単純に「どこか行きたいとかないの?」「欲しいものないの?(誕生日の前などに)」と言っても「無い」と繰り返した母、どこかで自分の最後を感じることはあったのか、、、分からないまま逝ってしまった。

日々まだ思い出すし、反省もするし、後悔することもも沢山あるが、やりきった気持ちだけは持ち続けたいと想っている。
そうしないと、やっぱり頑張ってきた自分も父も報われないから。


そして、終わってしまうと本当にあっけないことを感じている。
あんなに「いつ終わるのか」「まだ続けばいいのに」の繰り返した日々が終わって、もう10日経ってしまった。

今日もたまたまちょっとした理由で、訪問入浴サービスから事務的な電話があったのだが、特に母に対しての言葉もなく淡々とした話だし、他の公的機関からの連絡も同様で、家族や遺されたもの以外には、母の存在なんてもう「終わったもの」として感情などなく処理されているのを突きつけられる。

単なるサービスの対象が消えた、って言う事実しかないんだなと。

だからこそ遺されたものは、故人のことを忘れてはいけないというか、遺されたものが故人を想っていくことが尊いんだろうなと思う。

そういう意味では看護師さんだけだったな、本当に母が亡くなった時に家族以外で一番思いやってくれたのは、と思う。
ずっと世話してくれた人だったし、そういう思い出だけ残しておこうと改めて想った。