叔母と3人で
良い時間だった
旅立ちの日の話は、どう記録するか考え中。
(非公開?マストドンには忘れないように記録はしてるが)
旅立ちの翌日(昨日)の午前、遠方に住む叔母が来てくれた。今月頭にも見舞ってくれて、本当は昨日来たかったようだが、時間的に看取りも間に合わなかったし(そもそも本当の意味での看取りは私も父も実はしていないので…)、結果的に翌日に来てもらって良かったことになった。
色々とあり直葬なのだが、本人はエンゼルケアのあとで納棺師さんの施し手当をしてもらって、ドライアイスに囲まれてまだ自宅にいた。
当初叔母は、月初に会った時の肌がツヤツヤで(患部はガーゼだったしほぼ寝たきりだったが、写真見てもツヤツヤ)ニコニコしてた姿が忘れられないし、本人の姿は見なくていい、と言っていたのだが、エンゼルケアをした母の姿を見てもらいたいと、私が何となくぼかして伝えておいて、結果対面したのだが、エンゼルケアした姿、ドレス姿の母を見れて良かった、やっぱり見ておいて良かった、と言ってくれた。
言い方はあれだが、いかにももう病気で亡くなりましたの姿だったら、多分ショックが更に大きかったと思うが、勿論号泣してたが、このキレイな姉ちゃんを見れて良かったと何度も言ってくれたのでホッとした。
到着は昼近かったのと、火葬までの安置に安置所へ移動してもらうのを午後一にしたため(叔母に見てもらうため)、お昼ご飯に寿司をつまみなが、さながらお通夜のように、私、父、叔母と3人で、母の横で母のことを語り合った。
私は本当に母のことを何も知らない。
特に過去のことは、本人も全然話さないので全く知らない。
父も自分のことはたまーに話すが、母とのことはあんまり話さない。
唯一それらを知るのが叔母で、血はつながってないが小さい頃から「姉妹」として過ごしてきたので、色んなことを、すべてを知っているのだった。
母がこうなり、叔母がたまに来てくれたり、電話やLINEで会話するたびに母の昔話を少しずつしてくれる。
父も叔母のことは勿論知っていて、若い頃から結構車での移動を手伝ったりなどもしていたようだった(と、話していた、眼の前で)
ま、とにかくそういう訳で、私は割と聞いて合槌を打ったり、お茶を入れたりしながら、父と叔母が泣きながら話す様子を見ていた。
母はこっちで本当に友達、というのは多分居なかったと思う。ほとんどが仕事してる中で知り合った人、みたいな感じだった。
なので、こうなることになっても(そもそも葬儀は別の意味でやらないことにしてたが)誰も呼ぶことはないなと思っていたが、やはり叔母だけは特別な存在なので、早めに会いたかったし、叔母もやっぱり姉ちゃんは特別、育ての母よりも姉ちゃんの方が特別だから、と言っていたので、この3人での時間が1番あるべきものだったと思った。
時は過ぎ、13:45。
電話がかかってきて、葬儀屋さんが到着した。
ドライアイスに囲まれた母をシートにくるみ運び出し、黒い車に載せてもらった。
担当の方に、3人で挨拶をして、その車を見送った。
こうして母はこの家から居なくなった。
母がベッドに居ると、父と二人とも、まだ起き出しそうだと思ったり(いくら顔にレースをかけていても)、お腹が膨らむか(息をしているか)を確認する癖が出ちゃうよね、と笑い合ったりしたが、居なくなった空のベッドを見て、大きく息を吐き出して、その存在の無さを実感した。
叔母とはもうしばらく話などして、駅まで送って、少し休んでから、夜ご飯はすごくいつも通りに父が米を炊き肉などを焼いて二人で食べた。
明日からはこんな感じでしばらくは過ごしていく予定。