家族の記録)手のひら返し

手首がねじれて飛んでいった


私は両親とは20年以上一緒に住んでいなかった。

両親も一緒に住もうとは言っては来なかったし、昔から別に私が何をしてようが関係ない、くらいの勢いだった。

それがこの病気などの折で、まるで半同棲、みたいな(通い婚か?)生活をするようになった訳だ。

ただ勿論父は前は運転していたが、免許失効し、車の名義も私に変わり、自由に出掛けられなくなった。

頑張ってコンビニくらいは行ってるようだが、それ以上の買い物へは行けないから、どうしても私の介助は必要だ。

それは理解出来るが、だんだんと私に依存してきてるのが分かった。
確かに困ったらいつでも電話しておいで、とは言ってるが、困ってない時にも電話してくるのだ。

例えば、毎週月曜は実家へ行かないよ、と言ってもう2ヶ月も経ってるのに、仕事終わってまだ帰宅途中の時間、こちらはまだ電車内だから出られないが留守電が入ってて、電話頂戴と言ってるから、慌てて掛け直すと

「今日来るんだっけ?」

……


だから毎週月曜は行かないよって言ってるよね?と言うと、あぁそうかそうか、分かったよーと言う始末。

また夜に行っても時間がなくて帰ろうとしても、ほらご飯食べるぞ、皆で食べるから美味しいんだ、と昭和の人の意見バリバリである。


で、タイトルのこと。

昨日医者へ、母を入院させるようにお願いしたのだが、、、
今日実家へ来たら、父は世話出来るとか言い出していた。

今日昼間に看護の人が来る日だったのだが、看護の人にも入院させるとかは感情的になったからだった、まだ大丈夫だ、とか言ってた模様。

…なんじゃそりゃ、だ
手のひら返しもいいところだ

だったらもう、私は本当に世話から基本的には手を引こう、と決めた。

冒頭にも書いたが、やっぱりずっと一緒に住んでなかった時間は大きいと思った
そんなに簡単に埋められない。

そして、毎日なり私に来てほしかったのは、母ではなくて父だった。

私はもう時間的にも体力的にも、また、そういう父の依存(まぁ仕方ない面があるのは分かるが)や母がそもそも私をあまり必要としてない(これはずっとだし)という、、、精神的な部分でも、正直もう詰んでいた。

これまで一人で生きてきたのを置いといて、二人のために色々とやってきたけど、一段落しつつもあるので(インフラとか)もう自分の生活に戻ろうと思った。

ケアマネさんに、そういう訳なので、今後の対策を練りたいという一報を入れた。それに関してまた少しバタバタとはするが、とにかく、私の人生を取り返そうと思う。

もうやれることはやったと思うし、あとは、本当に最後の最後の時のことをどうにかすればいいや、と。


実のところ、ケアマネさん、看護の人など、皆に私は心配されていた。

毎日通勤して仕事して、帰宅してから買い物して実家に来て、食べてまた自宅に戻ってて、、、というと大体驚かれて、それはちょっと大変過ぎるし、そんなにしてたら、私の身体が壊れるといつも言われていた。

何とか身体は大丈夫だが(一時期は甲状腺機能低下症気味だったことはあったが、何とか乗り越えた?)、精神的にもう無理だった。


何より母より、父が私が大変なのを理解してないところが、、、

しかも今日「もう来る日数減らすから」というと「お前は好きにしろ」とか言うので、だったら、電話も少し控えてくれないかな?とお願いした。

私の人生は取り戻せるだろうか、、、