家族の記録)決断の日

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ことは昨日(2023/05/31)の夜起きた。

仕事終わりでまだ家にもつかない前に、父から電話で「何か急にご飯食べるとか言い出して、どうしたらいいんだ」と謎の話。
あれだけ「ご飯食べろ。なんでもいいから食べろ。」って言ったのが悪いんじゃないか、と思いながら、色々と買って実家へ行ったら、既にあるもので母はご飯を食べ終えて布団をかぶっていた、起きてはいたが。

それで「何でどうしたらいいの?なの?お昼が13時ころだったらもう18時過ぎたらお腹空くんじゃないの?」などと言っていたら、それを聞いた母が「何をそんなに言ってんのよ」と食いついてきたので「あなたの話じゃない。お父さんと話してる。」と言ってるのに、「いちいちギャーギャー言うな」的なことをまた言い出した。

いつもそうなのだ。別に自分の話じゃないのに、ちょっと文句を言うと、何故かこの人は怒る。
そしてそこから、「もう分かったから買ってきたもの食べて」と言って冷凍庫だったり色々としまっていた私は、はっきり言ってイライラしていた。

私だって聖人じゃないし、イライラもする。
誰にも言えない相談できない状態でずっと走ってきてるのに、、

そして「あなたはお肉は食べる?」と聞くと「いらない!」と怒った口調で答えるので「何でそういう言い方ばっかりするの?」とイライラが高まってきたので、もう今日は帰ろう(明日=今日の午後にも来るから)と思い「もう私帰るわ」というと、急に起き上がり「あぁ帰れよ。もう来なくていいわ。」とさらなる激高が始まった。

私「あんたは何でいつもそういう言い方しか出来ないんだ。こっちはこんなに色々とやってるのに」
母「あんたに何か頼んでないわ。あんた頭おかしいんじゃないの?」
私「あんたの娘だから頭がおかしいんだよ」
母「あぁそりゃそうだわ」

と言い合ってる中で、父は泣き出した。
しばらく泣き続け相当泣いて、落ち着いた後、母はこう言った。
「もうこんなにこじれちゃったら、どうにもならから、3人とも別々の人生を歩みましょう。
私はもう明日の朝出ていくから。お父さんも、あんたもそれぞれ好きにやって。」
呆れてモノが言えなかった。

まだ他にも色々と訳の分からないことを言ってたので、父が
「そこまで頭おかしいんだったら、明日は先生が来るから病院へ入れてくださいって言うか」
と言うと
「うん、そうするわ」
と言い出す始末。

いくら認知症が入ってるとはいえ、ここまでは言えないし、もう病気発覚して半年、家で緩和ケアするようになってから4ヶ月経つが、、、結局母の本質は変わってなかったことを感じた。

父が一生懸命世話してきたことについても、冗談ぽく「あぁどうもありがとさんです」みたいなモノ言いだし、私にはとにかく「あんたはもうどこかで好きにやんなさいよ」くらいしか言わない。


もう私の中で気持ちが決壊してしまった。

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本当は今日(昨日から見て明日)は午後半休を取り、父のデイサービスの契約をする予定だったが、全休することにして、出ていくことは出来ないとは思うが、何があるか分からない母の様子を見るために実家へ泊まった。

そもそも、もう母は自力で立ち上がるのですら、手を貸してようやっと2~3分かけないと立ち上がる力がないのだ。(立ち上がれば少し立ってはいられるようだが)
夜中、耳を済ませても、トイレに出入りしてるのは父だけだった。
母はもう行きたいと思っても、夜寝てるところから起き上がってトイレへは行けないし、リハビリパンツが物語ってる。

そんな状態なのに「明日私は出ていくから」と言い放つところ
娘に対して「頭がおかしい」と言い放つところ
父に対して心からありがとうや感謝が言えないところ・・・


そして今朝、結局いつものように全く朝起きない。
父と起きて寝ている様子を見ていたら、小さい声で「痛い。。」と言ったり、首を自分でマッサージするなどしていた。

いつもは、痛いと言ったら「大丈夫か?薬を飲むか?」と声をかけたり、首や背中をしょっちゅうマッサージなどしてあげていた。本人が「して」と言わなくてもやってあげていた。
それを全くしない部屋は、テレビから流れる大リーグ中継の音だけが響いていた。
あぁ何か静かだなぁと思ったし、
何もしないのってこんなに「軽い」のかとも思ってしまった。

ずっと父も私も気遣ってきた。
でもこの人にはもうそれが当たり前になっていて、ありがたみも無いのだなと昨日のことを思い出して悲しくなった。

お昼過ぎに医師が来たが、部屋へ入れる前に
「色々と考えて、父も私も限界に来てしまったので、病院へ入れるように進めたい」
と伝えた。

先生は診察しながら、
「この傷の状況からも、今後は病院へ入ったほうが良いでしょうね」
もちろん本当は最後まで自宅で見れるのだが、そう言ってくれたのだった。

実際のところガン本体が広がる炎症部分は、当初はタバコの箱より少し小さいくらいの範囲が、今ではもう手のひらを大きく越えている。
ガーゼも当初は1枚を半分にして当てていたのが、まるまる1枚に加えて、更に膿を止めるためのガーゼまで必要になっていて、それでも膿はガーゼをこえて出ている状態。
もうすぐ膿の部分から骨が見えてしまうくらいになってしまうそうだ。

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叔母のところへLINEした。
すると「あの人の激しい性格はよく分かる。もう病院へ入れていいと思うよ。」
と返信が来た。

やっぱり病院へ入れることは、もうほぼ今生の別れに近い。
入る病院によるが、まだ会えないところがほとんどだろうと思う。

あぁいう態度がなければ、本当は最後まで面倒みたかった。
ずっと3人でいたかった。
でももう無理だった。
悲しいけど、もう仕方ない。

夜になり起きてきて、普通にご飯を食べていた。
「これ美味しい」などと言いながら。
そして食べ終えてからテレビを見て、また一人でブツブツ言ったり、私や父が発する感想に「そうだねぇ」などと言ったりしていた。

多分明日になったらもう昨日あった出来事とか忘れてしまってると思う。

ちなみに言い合いをした際に、私が腕を強く握ったことで、少しアザが出来ていたが、それに全く心当たりがないようで、父に「なんかここ赤くなってるの、アザ。何でだろう」と言っていた。

忘れてしまうのだ。自分の言ったこととかすべて。
そしてまたちょっとした事で激高してしまう可能性がある。

でも私も父も聖人じゃないのだ。
傷つきながら世話が続くのだ。

そして私が「じゃ、帰るわ」というと、
ただ「うん」とだけ言っていた。

私は帰りの車の中で泣きながら帰宅した。

父になぜ感謝を言ってくれないのだろう。と。
どうしてあの性格が出てきてしまうのだろう、と。

あと一体、何日一緒にいられるのだろう、と。