一生恨んでいいと思ってる

最近あんまりニュースもちゃんと見ないし(情弱)、ネットも野球関係だけで、Twitterのトレンドを米国とかにしてるので、知らない事が増えた。



そんな中で出てきた小✕田○吾氏の件。(検索されたくないので)
過去にいじめをやっていた事を平然と語って、五輪・パラの曲を提供してるとかで・・などなど。

個人的には小✕田○吾氏に関する音楽は、全然合わないと思ったから、過去ほぼ聞いてない。
耳に入ってきてしまったものはしょうがない位で。
曲を浮かべろと言われても浮かばない位に知らない。
だから、別に小✕田○吾氏がどうとかは言うつもりは無し。

ただそれに類して、いじめに関する事がまた色々沸騰?していて、いじめた側・いじめられた側、などについて、色々意見があるようだ。

いじめられた経験がある身として、1つ思うのはタイトルに書いたけど、許す事なく一生恨んでいいと思っている。

よく、いじめられた側はいじめた側を許せと言う事を見かけるが、それは何故?って聞きたい。
許してどうなる?なにか得られるんだろうか?

私はそのいじめに遭った事や嫌がらせにあった事を許そうと思ったけど、もうある時期から止めた。
嫌な思いをした相手の事を許す事を止めた。
そんな事しても、自分が納得いかないから。

あと傷ついたこちらの色々なもの(気持ちや時間など色んな沢山のもの)は、いじめた相手は埋めない、埋めてくれないのだ。
それを埋められるのは自分だけなので、自分が納得する気持ちを選んだ方がいいと思う。
それが「許すこと」なら止めないけど、私は許しても何も得られないから止めた。

許せなんて言ってるのは、いじめた側の方便だと思っている。
またいじめた側は大体覚えてないし、覚えていても小✕田○吾氏のように武勇伝みたいに勘違いしてる人が多いと思うので、いじめられた側は恨んでいいと思ってるのは曲げないつもり。