これでいいのだ

勿論「幸せ」って、あくまで絶対的なものなので、誰かと比べるものではない。

でもやっぱりそれでも、隣の芝は青いし、自分ってそんなに幸福に過ごしてきたって感じはないよな・・・と思ってしまう。

そうやって生きてきてる人は、幸せな状況に慣れていない。

また何が幸せなのかが分からない。

ずっと幸せな人もそうかもしれないけども。

 

去年のちょうど今頃、コロナで自粛し始めた辺りだった。

その時行っていた仕事(派遣)先、最初からその気配はあったけども、リモートワークが主体になった事で、更に上の人から見えないことが増えたこともあって、気づけば「こりゃパワハラもいいとこやん・・」と言う状況になっていた。

 

割と耐性が高いので(昔のいじめ受けた体験や、サポートの仕事で「◎ね」メールをずっと受付したりして流すことを覚えた)、まぁ気にしないようにはしていたが、結局身体を壊した結果になった。

 

日曜の夜が嫌だった。出勤しなくてもいいのだが、仕事したくなかった。

仕事をするのは嫌いじゃない。進んでサービス残業してしまうくらいワーカホリックでもある。

でも、仕事開始のメールとか(やる意味不明)謎の仕事のやり方などの諸々に、在宅なのをいいことに文句言いまくりしながらやっていた。(と言うか、それくらいしか出来なかった)

 

コロナもあったので1回は辞めるタイミングを伸ばしたが(次の仕事が決まらないだろうと思ったが)、さすがにこれじゃ身体が持たないと9ヶ月でその仕事先を離れた(そして胃がえぐれていたことが発覚した)。

 

幸いにも次の仕事はすぐに決まった。

私ならこの職場・仕事があってると思います、と懇意にしている担当の人が紹介してくれたのだった。

色々あったが(嫌な事ではなく、諸々の慣れの問題)、良い人も多くて、逆に「こんな感じでいいんだろうか?」とすら思ってしまっている。

 

慣れてないのだ。普通であることに。これが小確幸であることに。

 

だから念じるようにしている。

これでいいのだ。これでいいのだ。何も起こらないのだ、と。

 

バカボンのパパは偉大だわ。ホント。

これでいいのだ。すごいおまじないの言葉だと思う。

 

とびっきりの幸せって訳でも勿論ないのだけども、本当にこれでいいのだ、と思って過ごしている。

明日も普通の日でありますように。